SEOの政治的な見方

ここ何ヶ月か特にSEOについての相談がかなり急増してきている。
一言でSEOといっても思いつく方法にはかなりの幅もあるのだが、要するに殆どは自然検索での上位表示のことであろう。

例えば、
●被リンク
ヤフーカテゴリ、その他諸々大手検索エンジンへの登録・・・登録料は各約5万円~
小・中規模の検索サイトとの相互リンク・・・無料や数千円~
要するに優良な被リンク数の獲得であるが、これらは一般的にページランクアップ。

●PPC広告
オーバーチュアやアドワーズ、その他諸々のクリック広告。数千円~数百万円。
JWORDのようなキーワード買取の広告・・・数十万円。
ま、これらは紙チラシ感覚でのWEB広告といったところか。

●サイト構築
メタタグは勿論のこと、コーディングソースの整理整頓、文法準拠。
ページ内キーワード分散、SEO用のコピーライティング。
コンテンツボリューム

最後のサイト構築が全ての基本であり、SEOを語る前提として押さえどころだと考えている制作会社さんも多いだろう。当然ながら、うちでも基本としてそう思っている。
が、実際のところ、相談を受ける殆どはお話を聞く限り、前提に「お金で解決」というイメージがどうしてもぬぐえない。
「お金で解決」といっても、サイト登録やPPCは基本除外されている。SEO対策を謳う会社に「自然検索で上位に上げるのに幾らかかる?」的なイメージかな。
なんとなく、お金は出すが、被リンク獲得やPPCは高いので何か安い方法は?的なニュアンスというか・・・
誰でも思うことだが「費用対効果」ってところかな。

どのWEB制作会社でも、携わるお客様のサイト、それどころかお店自体、大成功して欲しいと思う気持ちは間違いなくあるハズなのであるが、そんな中でいつも思うのは、どんな方法でも広告に変わりはないので知名度を上げるためにはそれなりの努力や費用は同じなのに・・・と思うのである。
なぜならば、検索エンジンは特段垣根のない、ほぼ誰に対しても同条件下での競争の場、と思えるからである。

記事のタイトルに「SEOの政治的な見方」と書いたのだが、ふと思うに、SEOに代表されるYahoo検索、Google検索それぞれの検索アルゴリズムはある意味検索エンジン上の「法律」なのであるが、実際の法律より相当タチが悪い。
法律(ルール)の中身が誰にも見えないからだ。
しかも、良くない表現かもしれないが・・・、そのルールを決める政治家にはヘタすりゃお金積むだけでなれる可能性はあるが、YahooやGoogleには多分お金積んだだけでは入れてはくれまい。
多分、1000万票集めてもアルゴリズムを決めれる立場にはなれないだろうし、もしなれたとしても、多分そのルールを流出させることは不可能、かつ、そのリスクを負う必要もない待遇もあるのだろうが・・・。

という風に考えた場合、今、私はいったい何をすべきか?というと、Yahoo様やGoogle様の様子を伺いつつ、彼らがおっしゃる教えを地道にコツコツと崇拝するしかないのである(笑)
SEOに強い人というのは多分ずっとコツコツと地味な作業を繰り返し、検索エンジン様のご機嫌をなんとなく察知できる人なのだろう。

自分自身がそうなるか、そういう人を探してお安くお願いするか・・・とどのつまり、SEOとはそんなもんだろう。

結局は、自分の宣伝したい部分を一生懸命に伝えようとする努力や宣伝したい部分を一生懸命磨き続ける。この姿勢を置き去りにはSEOはありえない。
となると、SEO云々の前に・・・どの世界でも成功者全員がそろって口にする「現状満足で向上はありえない」を思いおこして、もっともっと記事やコンテンツを搾り出せないのか?を見つめなおす余地は十分にあるはずだ。

政治よりタチが悪いものに、あーでもないこーでもない、と立ち向かっている自分を垣間見た瞬間に思ったことである。